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【探究学習セミナー2024】

「これからの探究学習へのヒント」―生徒が主体となる学びの場づくり―

2024年12月7日に関西大学梅田キャンパスで探究学習に関するトークイベントが開催されました。

関西地区で探究学習の推進に尽力されている先生方をお招きし、私立高校、公立高校、それぞれの探究学習の取り組み方をご紹介いただきました。

当日説明で使用した資料のダウンロードも可能です。また、質疑応答では、まわりの教員の巻き込み方についてもお話いただいています。ぜひご覧ください。

[開催日]

2024年12月7日(土)

[プログラム]

1)「自己の在り方生き方」を考えながら学ぶとはどういうことか:多様な生徒の「自己」を支援する授業づくり
2)大阪府立東高等学校の探究学習の実践例〜「東創究学プロジェクト」の試み〜
3)質疑応答

[登壇者]

清教学園中・高等学校 山﨑勇気様
大阪府立東高等学校 石山貴裕様

動画提供・関西大学

テーマ紹介①

「自己の在り方生き方」を考えながら学ぶとはどういうことか:多様な生徒の「自己」を支援する授業づくり
清教学園中・高等学校 山﨑勇気様

学習指導要領「総合的な探究の時間」が言及する「自己の在り方生き方」は、重要キーワードである一方、具体的意味は曖昧で、授業での扱いも多様である。発表ではこれまでの各校実践を分類し、探究学習と「自己」との関わりを振り返る。さらに清教学園中高の「卒業論文」を例に、個々の生徒が学校図書館を活用し、興味関心を深めながら、自己の在り方を探究していく過程を分析する。

「自己の在り方生き方」を考えながら学ぶとはどういうことか(7MB)

テーマ紹介②

大阪府立東高等学校の探究学習の実践例〜「東創究学プロジェクト」の試み〜
大阪府立東高等学校 石山貴裕様

最初からグループ探究をおこなうのではなく、「個人の成果物(個人レポート)を手にしてグループ探究に臨む」ことを目指し、東高校では今年度より「東創究学プロジェクト」として新たな探究学習のデザインを構築している。1人1台端末を利用し、外部機関や外部サービスを活用しつつ、どの学校でも実施可能な探究学習を目指した取り組みについて、具体的な実例を挙げて紹介する。

大阪府立東高等学校の探究学習の実践例(13.5MB)
本セミナーの参考図書一覧(0.7MB)

質疑応答(追加分)

時間の都合上、会場では回答のできなかった質疑応答です。

山﨑先生:まずは理論だよね、という意味では、文理問わず読書はやはり必要で、図書館との関わりも大きく変わりません。学術でも理系は先端研究のことがわからないと何もできないわけですが、中高生ならせめて一般書レベルの本は読みたい。本校はSSHでもなく、特定の大学研究室との繋がりも無いので、やはり「独学」が中心になります。例えば、物理学を学んで野球の変化球の研究をした生徒(中学で物理の教科書と似たテーマの一般書を読み込んでました)が、変化球の実験をしたり。再生医療について学んでいた生徒は、自分で実験はさすがに無理ということで、「なぜ研究者は再生医療に魅せられたか、研究動機の分析」みたいなテーマになったり。図書館からの支援としては大きく変わらないかもしれません。
石山先生:理系探究に関しても、この10年以内の図書と、ブルーバックス等の新書、そして、いわゆる「名著」が揃っているならば、図書館ツアーを組んで生徒に本を読ませる(こんな本があるんだ! ということを知ってもらう)だけでも十分な効果があるかと思います。東高校でも理科の課題で理系の新書を読んでまとめる等の課題を出しています。

山﨑先生:実は本校の生徒はJKSをうまく活用できておらず、1年間の研究が終わった現在、やっと使い始めたという感じです。むしろ司書が通常のJKをレファレンスに活用しています。活用事例としてお答えできることは多くありません…。ただ、一つ言えるのは「データベースの前に、まずは紙の図書と体系化された書架が大事」という点です。書架を歩くうちに、多様な読書を進めるうちに、テーマが深まっていく生徒の様子を毎年見ているからです。キーワード(自然語でも)検索が必要になるのは、研究活動がある程度進んだ半年以上あとくらいなのかなと思います。学ぶ中で情報と出合いテーマが定まっていく、図書館の書架のような情報探索行動と、検索で必要な情報を手に入れるDBのような情報探索行動との間には、同じ情報探索でもその役割に大きな違いがあります。目の前の生徒にいまどちらが必要なのかは、授業者として見極めてあげたいですね。 ところで、IBでExtended Essay書かせてるなら、おそらく成果物は本校の論文にかなり近いですよね。「自分の興味を育てるのが大事」と、たしかIBも言ってた気が。そうなるとやはり、半年以上は書架探索しながら紙の図書を読んで、そのあとテーマが定まってきたらJKS使わせる、みたいな活用がいいんではと思っています。WebもDBもそうですが、キーワード検索の強みは「前提知識がある上での、今の自分の研究に必要な情報探索」であり、「興味関心を高めたり深めたりする情報探索」は、やっぱり図書や図書館に分があると思います。

山﨑先生:①初任かベテランかというのはあんまり関係がないような気がします。生徒の学習過程に寄り添って、彼らの前に出すぎなければ、誰でもそのサポートができるかと。当然ノウハウはありますが。大変な仕事の多くは組織作り、体制づくりだったりするので、そういう仕事はベテランの先生に任せて、その庇護のもとでぜひのびのび授業づくりしてほしいです。
②可能です。うちの生徒もよくやってますよ。例えば2022年度は、野球分野ばかりで8人も研究したことがありました。「野球部員は自身のグローブをどのように育てているか(グローブって皮なので、育て方があるんですね)」「日米球界において『礼儀』はどう定義され異なるか」「アンダースローがプロの世界でもなぜ絶えなかったか」「女子がなぜ高校から野球の道を絶たれるか」など。栄養学、運動生理、集団・個人心理モチベーション、戦術の統計分析、体育教育…など、事例挙げだせばたくさんあります。いずれも、ちゃんと文献あります。同じ業界で働けることを嬉しく思います。しかもIBですか。ぜひExtended Essayの実践、頑張ってください!
石山先生:①初任の教員は積極的に探究に関わっていくのが良いかと思います。自分が経験した探究と、初任校での探究との差異を実感して、自分には何が出来るのかを考えることが、教科としても探究的な学びを考えるヒントとなります。
②現在、予算をつけて「SPRYZA(スプライザ)」というソフトを導入して、スポーツにおけるモーションの分析をデータから行うという探究を実践しようとしている班があります。スポーツと探究との関係を深めている高校はあります。大阪府立ならば岸和田高校の事例が非常に参考になるかと思います。

山﨑先生:パネルディスカッションで取り上げさせていただきました、質問ありがとうございました! 論文という成果物が大事なのではなく、興味を学ぶ学習経験が大事なので形式にはこだわらなくてもいいのかなと思っています。芸術表現だっていいですよね。本校でも本論は論文ですが、フィールドワークと称して自分で絵を描いたり、作曲したりする生徒がたくさんいます。ただ、論文は論文なりの特徴もあって、やはりそれは「問い/根拠/結論」が対応し、読者に説得力をもって説明されなければならないというフォーマットです。論文というフォーマット自体が、「何をテーマにしたのか」「なぜそのテーマなのか」「だから何が言いたいのか」という説明を、生徒自身に求めるのですね。それはそれで大事な成果物形式なのかなと思っています。詳しいことは次の動画で喋っているので、よかったらぜひ。論文というフォーマットが求める論理的・言語的世界だからこそ、生徒はそれに応じた悩み・思考をしている気がします。→ 「論文で探究学習をやる意義って何ですか」
石山先生:山﨑先生とのパネルディスカッションでも取り上げましたが、私は生徒の成果物がレポートで「なければならない」理由はないと思っています。ただ、芸術作品がそれだけ出されても、その意図をどのように他者が汲むべきかを説明することは「探究」である以上必要かとは考えますので、レポートではなく成果物の紹介文をある程度課せばよいのではないか、というようなことを思いつきます。スポーツならば、仮説に基づいた実践で結果を出してみる、など、STEAM型の探究は様々な可能性があり、私も興味があります。

山﨑先生: 組織づくりについては僕がスライドで取り合げた「教育観」「リソース」の話や、石山先生との対談で生まれた協同の難しさの通りです。管理職のトップダウンによってできることはかなり大きいので、現場の先生方の教育観やリソースを鑑みて、ご自身の立場を活かしていただけると大変嬉しいです。僕自身、管理職の先生方に助けて頂いたことが何度もあります。  ICTについては今回あまり触れませんでしたが、自分の授業についていえば、あまり特殊なことをしていません。「Wordで文書を書く」「研究に関するファイルは自分で管理する」「メールやZoomで学外・学内の大人とやりとりする」「本に無い情報はWebで探す」「Google フォームを生徒の研究進捗管理に活かす」くらいです。教育現場では様々な新しいアプリケーションが生まれていますが、Microsoft Officeの標準アプリ等をちゃんと使うだけで十分なのかなと思っています。

山﨑先生:司書教諭配置が無いということは、11学級以下の小規模校でしょうか? 高等専修学校には司書教諭配置不要? このあたり不勉強で申し訳ないです。貸出機器が無いということは、OPACの電算化も無く、いまだに紙の貸出カードと書誌カードでやりくりされている? 想像するに難しい状況の中でお仕事をされているのだと思います。学校図書館の活用以前に、やはり環境整備、先生の工夫というよりもまずは管理職や行政の課題だと思います。さて、その上で何か現実的な案が出せるとすれば…ご質問の内容が多岐に渡るのですが、たとえば公共図書館も活用しながらの授業づくりはできますし、生徒のテーマを調査した上での決め打ちでの図書発注などがあり得ると思います。学校教育に携わる先生は忘れがちなのですが、街の図書館って結構数も規模もあって、本来はこれを使わない手は無いと思うのです。「自分のテーマに関する本3冊を、地元の図書館で借りてきてね。その時に、図書館司書の方に必ずレファレンスしてもらってね」とか。うちでも出してる宿題です。今回の講演の内容に合わせるなら、生徒自身が学校を卒業した後に、学校を頼らずに自分で何かを学ぶ力、そのための経験を作ってあげることもまた大事なのかなと。
石山先生:図書館環境を整えることは、じつは公立高校や一条校以外の学校では非常にハードルの高いことだと思っています。同じ志を持った仲間となる教員をまずは見つけ、勢力を作ることから必要になります。ただ、時間が掛かることなので、まずは司書教諭や貸出用PC機器等のない環境であるならば、授業内で本を読むことを完結させる、というところからスモールステップで進めていくしかないかと思います。資料整備でシステムを導入するならば、ブレインテック社の「情報館」が比較的安価なほうではないかと思います。

山﨑先生:ひとまず本校の片岡則夫先生を推奨します。著書がいくつかあるのでぜひ。中高生の探究学習ならこれで十分なのかなと。ほかに書籍で挙げるなら、渡辺潤・宮入恭平(2013)『「文科系」学生のレポート・卒論術』、上野千鶴子(2018)『情報生産者になる』、トーマス・S・マラニー(2023)『リサーチのはじめかた』(石山先生も同じものを勧めてました)など…。この手の本はかなり読んでるので挙げ始めるときりがないのです、まずは以上3冊が、テーマ決め、文献調査、フィールドワークそれぞれの手法を押さえていて、読み物としても面白かったです。
石山先生:阿部幸大さんの『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』と、クリストファー・レアさんの『リサーチのはじめかた』は必読であろうかと思います。あとは、清教学園の片岡則夫先生の著作は、片岡先生の長年のご実践が詰まったものですので、これも参考になるかと思います。あとは会場に持って行った書籍あたりで参考になるものがあるかと考えています。

山﨑先生:パネルディスカッションで取り上げさせていただきました、質問ありがとうございました!組織づくりについては僕がスライドで取り合げた「教育観」「リソース」の話に帰結するように思いますし、じゃあ現場でどうするかといえば、石山先生との対談で生まれた協同の難しさの通りです。解決策は無いですが、地道にやるしかないですね…。少しでも興味ある先生と一緒に、他の実践校にみんなで行ってみるとか。実際に他校の生徒が学んでいる様子を見ると、「やってみたい!」と思ってくれる先生は多いように思います。課題はあると思いますが、頑張ってください。
石山先生:本校は「探究推進部」という分掌があることで、分掌からメッセージを発していけるという強みがあり、また、担任団の負担をできるだけ減らすということを目指して実施内容を考えているので、担任団がまず協力的です。その上で、探究学習に興味のある先生や本が好きな先生が分掌の部屋(司書室です)に足を運んでくださるので、そこで探究推進部としての思いを語ることで、少しずつ草の根で共感を得られるように対話を重ねていくようにしています。ただ、やはり、どうしても探究そのものに否定的な先生もいらっしゃいますが、その先生はその先生のポリシーをお持ちですので、それを否定しないように、どうやって共存していけるのかを常に考えています。それでも反発されることもありますし、心が折れそうになる出来事もなくはないですが、そのような姿勢で対話を忘れなければ、おのずと味方は増えていくと信じています。

山﨑先生:パネルディスカッションで取り上げさせていただきました、質問ありがとうございました!石山先生も仰ってましたが、「調べ学習」と「探究学習」を分けようとする世の中の言説自体がどうなのかなぁ、と疑問に思っています。僕のイメージでは、探究という大きい枠の中に、調べるという行為が含まれています。それは本校生徒の様子を見ても大変実感するところで、やっぱり相当な「調べる」という行為がなければ、その生徒自身が何か行動してみる過程も、上手くいかないように思います(読書が苦手な生徒や、実践知に近いテーマの生徒は調べる前に行動させることもあります)。ですから、まずは「たくさん調べたね」で十分なのかなと。その上で、具体的にどうオリジナルの調査をするかについては、やはりアドバイスする側の教員自身に様々な研究のセオリーや、フィールドワークのストックや、知見が雑多にあるのが良いのかなと思います。「こんなことやってみるのはどう?」と、一言ポンと言ってあげられたら、生徒は喜んで「あ、やってみようかな」となります。生徒のフィールドワーク面白いですよほんと。フィールドワークのやり方だけをテーマにしたセミナーができるくらいです。
石山先生:私は調べ学習でもいいのではないかと個人的には思っていますが、まずは「調べ学習」という言葉に含まれている「棘」のようなものを何とかしたほうがいいかと考えています。調べることも徹底すれば必ずその隣接する領域のことに興味や関心がわくので、それが「探究のタネ」になっていくと思います。なお、瓜生山学園京都芸術大学の吉田大作先生も強くおっしゃっていることで、私も共感することがあるのですが、「アンケートは本当に難しいので取らない」ほうがいいかと思います。本校も次年度からはアンケートを一度完全禁止にする計画で進んでいます。とにかく、文献を読んで、書いてまとめて、それを増やす。その基本に立ち返ることが重要かと存じます。

山﨑先生:引用文献のリストをつけるのを忘れておりました、すみません。出版されたものでは、片岡則夫 編(2013)『なんでも学べる学校図書館をつくる』少年写真新聞社 に詳しいです。2017年に第2巻も出てます。質問頂いたスライドのデータは、同分析の2018年時点のデータをまとめたもので、別の講演向けに作成した限定公開資料が引用元です。必要であればPDFデータ送ります。別途メール頂ければ!ちなみに、このパレート図のデータは2024年現在も更新し続けています(毎年卒業論文を書く生徒がいるため。現在は3500名分のデータの蓄積があります)。ただ、履修者が1000名を越えたあたりからは、もうそれほど大きな変化はありません。中学生のテーマ傾向はそんなものでした。また、清教学園もいわゆる「調べ学習」的成果物だった時期、そこから論文レベルの成果物にしていった時期と、時代によって指導方法を変えていっています。論文化して以降の探究テーマは、もちろん分野・題材レベルからよりリサーチクエスチョンぽいものへと細分化しており、テーマの傾向も変化しています(理系テーマなどは若干社会学的なものへと寄っていったり)。となると「テーマ」という言葉の定義もより細分化されたものへと変化していきそうです。そのあたりの分析が、今後の仕事なのかなと思っています。

山﨑先生:とんでもないです、よく頂く質問です。本の貸出期限は二週間(20冊)で、生徒は二週間ごとに「延長」手続きするイメージです。延長手続きの段階で他の利用者から予約が入っていた場合は、いったん返却してもらい、予約者に資料が渡ります。つまり予約がなければずっと借りられるし、予約がつけば予約した人優先となります。ただ「なんでもテーマにしていいよ×150人」の授業設計だと、資料被りはそれほど問題になりません。まずもって生徒はそれぞれ興味関心が異なるので、分野が被ること自体少ない。さらに、例えばひと学年に「犬」の研究をしている生徒が4人いるとしたら、犬の「何を」テーマにするかはみんな違うんですね。読書して付箋を貼っていけば当然、どんなテーマになるかは人それぞれなのです。殺処分かもしれないし、しつけかもしれないし、ペット保険かもしれないし、イヌとヒトの人類史かもしれない。学習過程に応じてテーマが深まっていくと、そもそも本の取り合いはさらに珍しい現象になります。もちろん、稀に被ることもあります。その分野の鉄板本、みたいなのはあるので。その時は生徒どうし上手くやってます。お互いに協定を結んで、二週間ごとに相手に手渡るようにしたり。どんな付箋を貼るか事前に相談しておいて、お互いに付箋を貼ったままにしておいたり。生徒が中古で買うこともあれば、近隣の公共図書館から団体貸出で借りることもあります。

山﨑先生:あるあるです。司書の方の考え方もそれぞれなので、目の前の先生との関係性を踏まえて上手くやってもらえたら…と思います。実際、本校の付箋指導やブックオープナーを使う指導に眉をひそめる他校の学校司書の方はいらっしゃいます。「本は大切、公共のものである」と「学習に資するのが学校図書館の役割である」両者の考え方、バランスの問題だと思います。本校スタッフは後者がまずあるべきと考えています。学校図書館は学校教育に資するための図書館ですから、使われない図書館、読まれない本では、その存在意義自体を問われる。資料保存も重要な目的の一つである公共図書館や国立国会図書館と、学校教育に資する学校図書館とでは役割が異なるので、そのあたりは柔軟に考えています。だいたい10~15年過ぎると学校図書館の本はもう古く、学習での使用に内容や装丁が耐えられなくなる(分野や本にもよります)。そもそもそのくらいのスパンでの廃棄が前提なのだから、管理強化しすぎて使われない図書館や、教学の先生に「付箋も貼らせてもらえないなんて使い辛いなぁ」なんて思われる図書館ではダメだと思っています。ちなみに、清教学園がこの授業を初めて18年、僕も勤めて10年経ちますが、「付箋を貼ってしまったが故に読めなくなった」という本にはただの一度も出合ったことがありません。こういったことをマイルドにお伝えいただき、妥協点を見出すしかないのでは…と思います。どうしても付箋がダメなら、うちでもやってる「気になる箇所をノートにまとめる」なら良いかもしれません。(著者,出版年,ページ数)を必ずまとめた箇所の横に添えさせて、読んだ本の一覧を書くB5のワークシートをノートに貼らせています。
石山先生:私は山﨑先生のお話を聞いて、「なるほど、学校図書館は公共図書館と違い、史料の保管が主目的ではないのだから、付箋もありなのか!」と感じました。このあたりは公共図書館の本ではNGだということを生徒に徹底周知した上で、学校図書館では学校司書や司書教諭の協力を得て、うまく実践につなげられたらと思っています(強粘着の付箋は絶対使わない、返却時は必ず全て付箋を剥がす、公共図書館の書籍には付箋を貼らない、本への直接の書き込みは絶対しない、等あたりがとりあえず思い浮かぶところです)。

山﨑先生:よくわかります。指導を振り返るとまず「興味のある本なら(本のレベルを徐々に上げつつ)読める」があります。彼らは日常的に、スマホで文を読んでいます。文章を読む行為が苦手なのではなく、目の前の文章に対して、自身が興味を持っているか否かという点が大きい。本校の生徒も多くの場合、「本は読まされるもの」という否定的読書観を既に身に着けて入学します。なんでそんなことになってるのか、酷い話ですが。でも、それをなんとかできるのが「興味のある本を読む」という行為なのかなと。一方の特性の話もよくわかります。そんな時こそ、フィールドワーク的な実践知なのかなと思っています。本校の指導は一応、「文献調査(半年)→フィールドワーク→論文執筆」の流れですが、読書がしんどい子には「読書はいいから、まずなんかやってみたら」と言います。自分が面白いと思っている分野なら、それなりのフットワークを発揮してくれます。授業は理論→実践の順番ですが、実践→理論が合う子もいるんですね。大人でもそうだと思います。本校のカリキュラム自体にも同じことが言えます。僕らは本の読み方、文章の書き方、研究の方法の獲得を、教科書で学ぶことを目的としているわけではない。生徒自身が興味を学ぶ研究を経験してくれればいい。自身の経験のあとに理論も学んでみて、納得が得られればいい。経験主義、構成主義的教育観なのだと思います。
石山先生:ジャパンナレッジSchoolでは新書・文庫は「音読機能」がついています(ただし、読みの精度はまだまだかと感じますが)。Audible等の音読のサービスが近年は急激に充実しているので、そのような特性の生徒には、そちらの方向を勧めてみるのも一考かと存じます。

山﨑先生:人員配置、予算、枠組み作りをサポートしてくれる管理職もいましたし、傍観する管理職、反対して阻止しようとする管理職、色々ありました。振り返れば、自身の仕事の多くはそういった状況との戦いであったように思います。多様な教育観を持った教員が所属する組織(管理職含め)ですから、管理職の采配の難しさは実際問題あると思います。一方で、管理職がトップダウンでできることは本当に多いので、先のご質問への回答でも述べましたが、現場の先生方の教育観やリソースを鑑みて、ご自身の立場を活かしていただけると大変嬉しいです。
石山先生:東高校は前任の管理職と現教頭がかなりのリーダーシップを発揮して探究学習や図書館の拡充が急進しました。ジャパンナレッジSchoolの導入も前校長の鶴の一声が決め手でした。管理職が協力してくださると前に進むことは現場にたくさんあるので、現校長もどんどんこちらから巻き込んでいきたいと思っていますし、管理職側からもどんどんとやりたいことを声に出して語ってほしいと思っています。

山﨑先生:もちろん、研究を名乗っているので、仮説検証的な側面はあります。授業づくりでも、板倉聖宣(1963)「仮説実験授業」は結構参考にしています。ただ、仮説(=研究テーマですよね)を学習の最初期から設定させることはありません。僕の場合は、セミナーで割愛した後半のスライド「テーマが決まらない」の辺りも参考にして頂ければと思うのですが、学習が深まるにつれて彼らの中に「仮説」が生まれていく感じがあります。世の中には「仮説立てて検証する」授業はたくさんあり、それを奨励する探究学習系の書籍も多いですが、問い作りのワークショップや、それを検証する一連の授業の流れは、個人的に疑問を感じています。問いや仮説はつくろうと思えばいくらでも、形式的に作れるし、大事なのはそこに自身の動機があるかどうか、だと思うんですね。興味をたくさん学んだあとに、やっと本人なりの仮説が生まれるような感じです。ですので、本校の授業が「仮説検証型か」と言われると、正直自信はないです。最終的にそのような局面が自然と訪れるようになっているというだけで、それ自体を目指しているわけではないからです。
石山先生:私は「仮説検証」「リサーチ・クエスチョン」という言葉があまり好きではなく、この言葉が探究をよく分からないものにしているのではないかと考えているので、している内容は仮説検証型であるかもしれませんが、「究めたいことを見つけ、それを調べる中で不思議に思った【日常の謎】をとことん考え抜こう」と生徒に言っています。「なぜ」には「こう思う」があるよね、その「こう思う」があなたの【主張】で、それを他の人に理解してもらうためには、根拠が必要で、だいたいそういう根拠は誰かが先に調べているから、その文献をたくさん探して、そこにないあなただけの意見を見極めるか、近い意見があるならば、その人の意見に賛同しつつ、違う視点であなたの意見を考えよう、というような話をするようにしています。生徒の背丈に合った言葉を使うことは探究では意外と重要なのではないかと感じています。

質疑応答(上記の内容をPDF化したものです)(0.4MB)